植村花菜の経歴

植村花菜の経歴

このページでは、植村花菜の経歴を紹介していきます。

実は、あまり知られていない植村花菜の意外な経歴を見つけるきっかけになるかもしれません。ぜひ、読んでみてください。

デビュー前から2004年まで

トップページでも述べましたが、植村花菜は幼少期を祖母の家で過ごしています。
その傍ら、3歳~8歳までの約5年間でクラシックバレエ、さらに5歳から8歳までの3年間でピアノを習っています。
リズム感の良さはこの頃に培われたのでは?という声も多くあるようです。

幼稚園と小学校は兵庫県宝塚市にある「雲雀丘学園小学校」に通っていると発言しています。
植村花菜の出身校として一躍有名となり、創立の精神やたくましく生き抜く力を身につけられる場を目指す「やってみなはれ精神」を全面に出した学校としても知られるようになりました。同校は、MBS開局60周年記念テレビドラマ「トイレの神様」のロケ地にもなっています。
小学生時代の植村花菜は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で見た歌手やカーペンターズに憧れて自分の歌をカセットテープに録音して聞き返すといった練習を繰り返していたようです。

2001年3月に「梅花高等学校」を卒業した後、「大阪スクールオブミュージック専門学校」に入学して音楽の基礎を学びます。
こちらの学校は、西川貴教やSOPHIAの松岡充・都啓一といった数多くの有名アーティストを輩出した事で知られている有名校でもあります。
2002年に入ると、自身の代名詞でもあるアコースティックギターを独学で学び始めます。
それと同時期に、作詞や作曲の楽しさにも気付きます。
曲作りを始めてたったの2週間でオリジナル楽曲を完成させるという驚きの成長を遂げ、オリジナル楽曲を作ってからは、川西能勢口駅前等で路上ライブを行うようになりました。
そして10月に、どれだけ自分の実力が通用するのか腕試しをするために「服部良一記念大阪音楽祭ザ・ストリートミュージシャン・グランプリ’02」のオーディションに参加します。
1200人の中から見事グランプリを獲得するという自身も想像していなかった驚きの結果を手に入れます。因みに、オーディションの際には「背中」を歌ったと言われています。

メジャーデビューからトイレの神様がヒットするまで

アーティスト植村花菜としてメディアでの活動が本格化し始めたのが2005年です。
4月からNACK5「The Nutty Radio Show 鬼玉」内で「植村花菜のかなでるラジオ」の放送が開始されます。
さらに、5月6日にはNHK「ポップジャム」で地上波デビューを果たし、メジャーデビュー曲となる「大切な人」を披露する事となりました。
そして、5月11日、キングレコードから1stシングル「大切な人」でついにメジャーデビューします。
現在では、作詞・作曲を自身で行っている植村花菜ですが、実はデビュー楽曲の大切な人は、東京事変のベーシストとして知られる「亀田誠治」が作曲を担当しています。
9月7日に発売となった2ndシングル「ミルクティー」が初めての自作曲のシングルとなります。

2006年は地元関西だけではなく、他のエリアでの活動を精力的に行っています。
1月21日には、ニッポン放送オールナイトニッポンR スペシャルナイトが放送されています。
2月に心斎橋アトランティックスと表参道FABでプレミアムパーティー「花菜祭り」を開催、4月からはMBSラジオ「ゴチャ・まぜっ!木曜日」への出演が始まるなど、ドンドンメディア露出が増えています。
さらに、並行して、7月から8月にかけて、名古屋・京都・神戸・千葉・さいたまといった様々なエリアで「ギターと私」というツアーを敢行しています。
それ以降も関西テレビ「ミュージャック」のアシスタントとしての出演、様々な音楽イベント・フェスへの参加と、全国的な知名度を獲得していきます。

そして、2010年、2月~3月に「トイレの神様」が有線放送キャンシステム問い合わせチャートの月間1位を獲得した事で一躍時の人となります。
7月9日には、自身初となる書籍「トイレの神様」の発売、74月21日には「トイレの神様」が着うたフル(R)がレコチョクのウィークリーチャート2位を獲得して完全なブレイクを果たします。
この年には、第43回日本有線大賞優先音楽優秀賞・特別賞、ベストヒット歌謡祭2010ゴールドアーティスト賞、咲くやこの花賞音楽部門賞といった数々の賞を受賞しています。
12月31日には、第61回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、9分52秒あるトイレの神様を紅白専用にカット(8分20秒)して披露した事でも話題を集めました。
2011年も勢いが衰える事はなく、楽曲リリース・タイアップや楽曲配信を積極的に行っていきました。
2012年4月、視野を広げるという目的で渡米をし、ライブハウスやストリートライブで演奏をしながらロサンゼルスからニューヨークとアメリカ大陸の横断にも成功しています。

トイレの神様のヒット以降

2013年1月29日にジャズドラマーの「清水勇博」と結婚を発表(入籍は自身30歳の誕生部である1月4日)、翌年の2014年には夫をドラムメンバーとして迎えた初の洋楽カバーアルバム「The Covers ~60’S to 70’s~」がリリースされました。
横浜・名古屋・大阪・東京でジャズツアーを敢行して、今までにはない新しい植村花菜の魅力で数多くのファンを魅了しました。
ツアー後には産休へと入り、2015年1月27日に第一子を出産、2016年12月に家族とニューヨークへ移住をしています。

2017年からは、アメリカでのライブ活動を精力的に行いつつ、日本でも定期的にライブを行うといったハードな生活を送っています。
さらに、Hanana Records inc.を設立し、初のセルフプロデュースアルバム「Definite」をリリースしました。
Definiteに収録されている楽曲は、全て一発録りという斬新な手法が用いられています。
2018年には、所属していたキングレコードやベルウッドレコードではなく、前年に設立した自主レーベルHanana Recordsでの活動を本格化させています。
2019年に発表した「Happiness」からは、アーティスト名を植村花菜から「ka-na」に変更しました。
アメリカでは「植村」という発音が難しく、親しみを持ってもらう、名前を覚えてもらうといった理由から改名する事になりました。